藝苑千禧

art garden millennium

子狐道士の愛らしさ

長安二十四時』には魅力的な登場人物がたくさんいるのですが、中でも私がお気に入りなのは、靖安司丞の李必です。

コスプレしたいくらい好き。コスプレ…やったことないですけどね。あ、学生時代に坂本龍馬に憧れて剣道部に入ったってのはありました。あれは一種のコスプレだった。こういった感情というのは、私の場合、「あんな風になれたらなぁ~」という願望です。
李必はそのキャラクターがあまりに愛らしくて一挙手一投足から目が離せません。

李必は道士です。
道士というのは、道教の教えに従って活動している宗教者のことで、仏教でいう僧侶みたいな存在。
私がこれまで知っている道士さんと言えば、

こういう人や…

こういう人…w

中の人は同じ(張學友)ですが、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー(倩女幽魂)』の2と3に出てくる別人の道士さんです。
ちなみに2の道士さん(最初の画像の方)は、香港映画における我が初恋の君です。
名は「知秋一葉(チーシャウ・ヤッイップ)」。これは四字熟語「一葉知秋」をもじったもので、「わずかな前兆や現象から、事の大勢や本質、物事の衰亡を察知すること」という意味。道士のあるべき姿を名前にしたのでしょうかね。全力で悪しきをくじき弱きを守ってくれる、とっっても素敵な青年道士さんなのですよ!パンニャパラミ!

閑話休題
李必は私の中にこれまであった、むさくるしくて身体能力の高い道士のイメージとはちょっと違っています。
見たところ頑健な感じはせず、頭は良いけれど非力そうな文人タイプ。澄んだ清浄な空気をまとっているかのような佇まいには、浮世離れした風情もあります。
靖安司の司丞に任命されて長安にやってくる前は、
「山にこもっている若い待詔翰林」でした。
「待詔翰林」とは”各々卓越した専門知識を持ち、君主に召喚されるのを待っている”エキスパート。若くしてその地位を得ている李必は「神童」と言われた天才です。


山にいるときの李必は、自然に囲まれて勉学に励み、

自給自足の生活をしていました。

傍には下女の檀棋がいつも寄り添って世話をしてくれています。(檀棋も大好きなキャラ。幸せになって欲しい!)

李必は、自然とともに在り、精神的に豊かで自由なこの生活がとても大切だったであろうに、友情にほだされて、汚れた世俗のど真ん中である靖安司の仕事を引き受けたのが受難の始まり。
長安はこの美しい青年にこれでもかの試練を与えます。

爆弾魔に真っ向からぶつかっていったり…

血みどろになったり

吊られたり

真冬にびしょ濡れになったり

痛々しい!

その他にも縛られたり殴られたり蹴られたり首絞められたり牢に入れられたり薬を盛られたり(2度も)と、散々な目にあってんのです。
なんとこれ、全部一日の話ですからね!

でも何度困難にぶち当たっても、李必は負けじと向かってゆきます。

最初は事件を俯瞰して見ているようで、戸惑いながら指示を出すことに徹底していた李必が、刻が進むごとにだんだんと覚醒して自ら渦中に飛び込んでゆくようになったのは、張小敬を見ているうちに心の裡に何か燃えるような思いを抱いたからかもしれない。
張小敬が李必を「子狐」と呼ぶとき(小敬が付けたあだ名です)、揶揄の中にもなんだか可愛くてたまらないような響きがあるんですよ。百戦錬磨の張小敬から見たら、世慣れてない子狐が精一杯背伸びして頑張ってる感じが微笑ましかったのかな。張小敬は大きな”父性”を持った人なんですが、その一面がにじみ出てて、この二人の距離のある信頼みたいなのは大好きな部分です。

李必は常に冷静に職務を全うしようとしているけれど、その心の裡は迷いが多い。若さゆえの勇み足もあるし、失敗もする(敵方にすぐ捕まる、疑いなく薬を飲まされる等)。道士として意志を強く持とうとするけれど、時々折れそうになる。それでもぎゅっと口を結んで前を向く。絶対に事件を解決しなければ!という強い思いで、危険なところにも進んでゆく。そして死線のギリギリを綱渡りする羽目になっちゃう。

危機に直面しても、張小敬だったら絶対何とかしてくれるはず、と視聴者は絶大なる信頼感とともにどこか安心して見ているのだけれど、李必の行動は危うくてハラハラさせられる…というのも、ドラマ的には効果があるのかも。

こんな李必を見ているうちに、とりあえず私は
1:痩せること
2:髪を伸ばすこと
という二つを自分に課しましたよ。

…唐突だなw
李必の佇まいがとても好きなので、あれを目指すことにしたのです(!)
単なるモチベーションってやつです。
李必って、すごく小食らしいんですよ。
「朝から穀(こく)を断っている」なんて言葉がさらっと出てくる。断食か?それで一日中動き回るのだから大変です。
食べなきゃ倒れちゃう!と、見かねた檀棋がゴマ団子を持ってきて、食べるように促すシーンがあります。
「植物性の油で揚げてあるものだから安心して食べて」と勧めているのは、ベジタリアンだからなんだろうか?道教は特に食べ物の規制は無いようですが。(むしろ何でも食べて気のバランスを保つことが肝要、という教えらしいが)

ゴマ団子を手渡されたので、やっと今日初めての食事をとる道士さん(可愛い)。
この時すでに時間は戌の初刻=午後7時過ぎ頃

丸一日以上何にも食べてないとは恐れ入ります。
シュッとした体に研ぎ澄まされた精神を宿すには、たらふく食べてちゃダメなんよ。愚鈍な我が身を振り返り、大いに反省。明日から私も李必を目指して節制に励もう。

髪を伸ばす、というのは、お団子ヘアにしたいからです。

昔はよくやっていたのですが、いい年をして髪を伸ばすのは容易じゃないんですよ。手入れが大変で。つい先日まで、思い切って短くしようか…と思っていました。染めが大変だし、最近、女優さんたちがこぞってショートヘアにしているのが新鮮で可愛いのもあって。
でもこのドラマを見てからは、「髪をお団子にしたい!」という願望がぐんぐんと高まってきました。今は鎖骨のあたりの長さなので、年明けにはお団子にできる算段です。
したらばここはひとつお団子に載せる冠(道冠)が欲しいなーと思い、各種サイトを見て回りました。なかなか売ってないもんなんですね…

李必は2種類の道冠をつけています。「上清芙蓉冠(またの名を蓮花冠)」といい、上位者が付けるものらしい。

山にいた時は木製のもの。

官吏になってからは薄緑色の翡翠のものになっています。

修行中の道士から官吏になった環境の変化が木製から翡翠製に表れてるのかな?(翡翠製の方がフォーマル)

いずれも簪の刺す方向は縦。これは午子簪というもの(午の方角から子の方角に突き抜けるから)。陰陽の意味合いもある。ちなみに横差しは卯酉簪といって、後年の明・清時代の主流だそうです。

お団子ヘアだったら女子たちのも可愛い。現実的にはこっちを目指したほうが無理がないね。


檀棋は唐の時代の土人形みたいな特徴的なお団子にシンプルな簪。

聞染は現代風のお団子にちょっと物騒な矢じりの簪(兵であった父の遺志を継いで?)。

聞染の着ている鹿草木文総柄のブルーの服もすごく可愛い!奈良時代の雰囲気があって(そりゃこっちが本場ですからね)親しみがわきます。現代でも普通に着られそう。

こちらはドラマの造型紹介に出ていた李必の道士スタイル。

手に持っているハタキみたいなのは「拂塵(ぶっさ)」という道教の法具。見たまんまで、世の塵、心の曇りを払うとされる道具。
「鶴氅(かくしょう)」とは、白地に黒く縁のある中国風の上衣で、鶴の羽毛で織った衣を思わせるような服のこと。隠者がよく来ているもの。
「道裙(どうくん)」は道士の着る襞の多い下裳のこと。袴みたいなズボン型ではなくスカート型になってるようです。
李必の鶴氅(かくしょう)が、白黒ではなく青緑色なのは、どんな意味があるのかな?ちょっと調べただけではわかりませんでした。服装ひとつとっても奥が深くて、調べるのが愉しいです。

長安二十四時』は、ストーリー以外にも興味深いことがあちこちにあるので、ドラマを見終えてもまだまだ楽しめそうです。原作本も買っちゃったし!(まだ届いてないが)

Youtubeに、原作者の馬伯庸先生がガイド役になって、ドラマに関係する長安を紹介してる【我是唐朝人】という番組があります。これ、面白いです。西安博物院には長安の巨大な「沙盤」があるのですね!見たいわー。


www.youtube.com

そう言えば、靖安司にあった「沙盤」は扶桑国(日本)の職人が作ったものでした。

地図が流出するのを嫌った時代に、外国から来た職人に詳細な砂盤を作らせたのには訳があるのかな。その知識は日本の都づくりにも大いに生かされただろうけれど。

このVの中で白居易の七言絶句が出てきます。この街の様子をよく表現している詩。

 

「登観音台望城(観音台に登りて長安城を望む)」白居易

 

百千家似囲棋局(幾千の家々が碁盤の目のように建ち並び) 
十二街如種菜畦(十二の街路は野菜畑の畝のよう)
遥認微微入朝火(朝の火が灯されるのが遠く微かに見える)
一条星宿五門西(一つの星座が五門の西に宿っている)

 

明け方、まだ陽のさす前のうっすらと闇の残る時刻。新しい一日を迎える前の長安の姿をとらえたものです。時を超えて、遥か昔の長安城にいざなわれるよう…

最後の一行が謎めいていますね…何か暗喩しているのかも?と考えるとまた別の物語ができそうな。

実は私が唐の時代のドラマを見ようと思い立ったのは、白居易のことを調べていたからなのです。ここまでハマるとは…これは絶対に白居易先生に呼ばれたのだ、と感じています。お呼ばれされたからには、心ゆくまで滞在し、少しでもその良さを誰かに伝えるべく、己の感興を残しておきたいと思っています。